山田 優花

山田 優花さん

やまだ ゆうか

福島市出身、小学校教諭。インタビュー時は大熊町立学び舎ゆめの森教諭。2011年3月11日は中学校3年の卒業式当日だった。福島高校から武蔵野大学に進学し、福島県教員に。二校目として会津若松市に避難をしていた大熊町立熊町小学校に着任し、2022年度から大熊町立学校統合に伴い大熊町立学び舎ゆめの森教諭。

2011年3月に福島第三中学校の3年生だった山田優花先生にとって、地震があったのは卒業式当日でした。親しい友人達との連絡もままならない混乱の中、きちんとした挨拶もできないまま高校へ進学。大学では教職を目指す道へと進みます。

被災地・福島で、震災後の教育を生徒として受け、同じ地で今度は教壇に立つ先生。教員としてはまだまだ若い山田先生の少人数教育に対する素直な驚きや戸惑い、これからの教育活動に対する思いについてお話をうかがいました。

 

震災を知らない世代にも、中学生の時の自分の経験を伝えたい

ーー被災した時は、中学3年生だったと伺いました。当時の状況を教えてください。

山田 地震があったのは卒業式が終わって、家で一段落していた時でした。家族とお茶をしていたら、いきなりガーッとなって。
本当は、高校に進学したら友達ともなかなか会えなくなるから、友達と「どこか行きたいね」と話していたのですが、地震があってから連絡自体がなかなか取れなくなりました。そういう予定は全部なくなりましたね。私の周囲ではそんなに大きな被害のところはなかったのですが、「友達と、ちゃんとしたお別れはできないのかな」と思いながら、高校に進学したような感じでした。高校の合格発表も、校舎が壊れてしまった影響ですごく遅れました。

 

ーー通っていたのは、福島市内の高校ですか?

山田 福島高校に行ったのですが、体育館をいくつかに仕切って勉強していたような状態でした。私のクラスは、隣のクラスと合同で冷暖房がつく視聴覚室に教室があったので、ラッキーでした。それで2年生の時あたりに、仮設校舎で勉強するようになりました。

 

ーー先生が教員になろうと思ったのはいつ頃からですか?

山田 私は、ずっとですね。「小学校ぐらいからかな?」という感じです。親も教員で、でもそれを見て「なりたい」と思ったわけではないんですけれども(笑)。福島高校出身の教員はあまりいなくて結構医療系の進路に進む子が多かったのですが、私の場合は環境があったからなのかな?と思います。

 

ーー先生が教職を目指していく中で、震災の経験は何か影響がありました?

山田 教員採用試験の時には、震災関係の小論文を書くことがありました。それから「志望動機は何ですか」と聞かれた時に、今までの動機にプラスして、「震災があってどんどん知らないような世代が出てくるから、そういう子達にも自分の経験したことを伝えたい」という気持ちが加わったのような感じですね。

 

ーー採用後は、いわゆる双葉郡のような被災が分かりやすい場所の勤務はありましたか?

山田 ありません。今回の熊町小が初めてです。初任が須賀川市の須賀川第二小学校で、去年(2021年)会津若松市の河東(の大野小学校)に来て、「まだ避難してたんだ」と驚きました。まだ戻れていない地区があるということは知ってたのですが、小学校自体がずっとこっちにあるということが、全く分からなかったので。内示が出てから気になって小学校を見に来たのですが、「ここ、本当にやってるのかな?」と不安になりましたし、資料を見て「でも先生多くない?どういうこと?」と思いました(笑)。

それに去年は大野小と熊町小の仮設校舎で授業が行われる最後の年だったのですが、大野小と熊町小が一緒にやってるというのも意味が分からなかったです。「同じ建物だけれど、それぞれが別々に授業をしているってどういうこと?」と。

 

ーーさらに大熊中の仮設校舎も同じ場所にあって、校歌は3つ歌っていたと聞いています。貴重な経験ですね。

山田 そうなんです。3つの校歌を、1番だけ歌っていました。うろ覚えだったのですが、皆「わー」といった感じで歌ってましたね(笑)。去年の卒業式では、6年生が大野小と熊町小で1人ずつ在籍ってことだったので、どちらも全部歌いました。でも中学校からは卒業生が出なかったので、中学校の校歌は歌わずに。

 

ーー大野小の異動にあたっては、何か希望は出していたのでしょうか?

山田 希望は出せますが、私の場合は「僻地に行きたいです」と出したわけではなくて、ただ会津地区への移動希望を出したらここになったという感じでした。「あれ?思っていたのとは違うけれどまあ、会津だな……」みたいな(笑)。

 

「人数が少ないこと」が一番難しかった

ーー大野小に着任してから、実際の学校生活ではどうでしたか? イメージしていたものと実際とでは違うと思いますが。

山田 全く違いました。一応3年生の担任ということになり、「その子とずっと一緒にのほほーんと勉強していくのかな」と思っていたのですが、実際には教科担任制で、教科ごとに担当の先生が教えることになっていました。それで、先生達がたくさんいたんですよね。「自分はずっと一緒に関わるわけではないんだ」というところに、まずびっくりしました。

 

ーーいわゆる被災経験のある学校・地域・子ども・保護者、そういう人達の学校だということで、何か山田先生が気を付けているようなことはありました?

山田 「相手がどんな経験をされてきたのか」という部分が最初のうちは分からなかったので、保護者の方と色々お話をしながら、「あ、こういう感じだったんだ」とか「やっぱりあっちに住まれてた方達だったんだ」というのを聞きながら、自分なりに「こういうことは、あんまり踏み込んで聞かない方がいいのかな」ということを考えてはいました。探り探りな感じですね。「多分、まだここの地に暮らしているということは、故郷に戻りたいという気持ちがすごく強いんだろうな」と。

 

ーーいわゆる「他の学校とは違う難しさ」を感じる場面が、たくさんありそうですね。

山田 そうですね。子ども達はこちらの生活しかしてない子もいますから、「子ども達にとって故郷ってどこなのか?」と考える場面もありました。

そして難しさと言ったら、「人数が少ないこと」が本当に一番難しかったです。やはり人数が多いとできることは結構多くなるんじゃないかなと思うので。でも少ないながらに、その良さを生かしてやっているから、親御さんも「ずっと通わせたい」って思ってくれているんだろうなと思います。

 

ーー教員養成の過程では、やはり30人くらいのクラスに対しての想定をしていると思います。確かに人数が少なすぎると言うのも難しいですね。

山田 ここに来る前のクラスは24人いて、人数的にはちょうどいい感じでした。クラスには色々な子達がいますので、気の合う子と一緒にいたり、気が合わない子が相手でもうまく回避する術のようなものを身に付けていたんじゃないかなと思います。子ども同士で成長していくというか……、「あの子が頑張ってるから、じゃあ頑張ろうかな」とか「あの子悲しそうだから、ちょっと行って慰めてみようかな」とか。そういう子ども同士の繋がりも大切なんだろうなと思います。

 

ーーこの地区では、通学も全員が徒歩というわけにはいかないですよね。我々が小学生、中学生だった頃は、普通に通学している時でも友達といたずらしたり寄り道したりということが、普通にありました。今思えば、そういう道中も含めて、友達同士で何か刺激があったのかなと思います。

山田 そうですね。ここに初めて来てびっくりしたのが、タクシー通学があるということでした。私も、自分が小学生の時は登下校で同じコースの子と一緒に、草を引っこ抜いたりとかして遊んでいましたから。そういうところでも結構、関係性が構築されてたと思います。

それから多分、体力も差が出てきますよね。片や何分もずっと歩いて登下校している子もいれば、タクシーで通っている子もいるわけですから。

 

ーーそうですね。何年も続けば、体力差はかなり出てきそうです。

山田 一方でここのような少人数教育の場なら、「人数も少ないしのびのびできる!」と入った当初は思っていました。自由度が高いことができると言いますか。子どもは1人2人だし、「今日は晴れてるから外の活動しようよ!」なんてことも絶対にできる」。そういうふうに「楽しいことを一緒にやろう!」と思っていたら、実際には「今日の何時間目と何時間目はこれが入ってる」と……。「えー!そんなに色々入っているの?」と落胆しましたね。

それから、何も聞かされてないのに教室に誰かが入ってきたりすることもありました。「誰?」とか思いながら授業を続けましたけど、「なんだろうこれは」と思いましたし、本当に窮屈というか、やりづらいという感覚でした。

 

少ない人数の学校同士にも関わらず、なぜ交流の場が少ないのか

ーー会津若松市の河東地域の方々との交流では、何か印象的なことはありましたか?

山田 私は今ちょうど児童会とか生徒会担当という立場なのですが、特に花植えなどの時にいつもすごく協力してくださるところとか、そういうところは「いいな」と思います。

でも、「そういうところだけになってしまっているな」という気持ちもあります。もっと色々、「この人は誰々さん」って顔と名前が一致するぐらいの関係作りが、私にもできたらよかったんじゃないかなと。それくらい結びつきが強くなったら、もっと“あったかい教育”になったのかなと思いますね。

 

ーー比較的、この地域の方々はそういうことを受け入れてくれそうな感じがします。こちらの関わり方次第というか。

山田 こちらのことを覚えてくださっている方も、やはりいらっしゃるんですよね。⚪️⚪️ちゃん良かったよとか、⚪️⚪️君はどこ?とか。そのたびに「あ、覚えてくださってるんだ」と思うので、こちらが返せていないのかなとは思います。

 

ーー震災以降の双葉郡の学校の多くは小規模の学校となっています。そうした学校同士で交流をしながら学ぶことなどはありましたか。

山田 私個人としては交流が少なくて閉鎖的な印象でした。こんなに少ない人数の学校同士なのに、どうして交流がないのかなと感じたくらいです。同じ地区だし、交流ができたらいいのにと思っていました。

先日、埼玉県の学校が「震災について聞きたい」と連絡をくださったので、子ども達同士を繋いだことがありました。その時、ちょっと繋いでちょっと顔を見ただけで、もううちの子ども達は本当に嬉しそうにしていたんですよ。「他の子達なんだ!」「反応してくれる、嬉しい」みたいな。「バイバイってすると、バイバイって言ってくれる」って。本当に短い時間だったのに、すごく嬉しそうでした。

その様子を見て、「そういうの大事じゃん!」と再認識しましたね。「なんでここは、こんな風に私達だけでやってるんだろう」って。

 

ーーもしかしたら本当に必要なのは、同世代同士の交流なのかもしれませんね。こういう時代ですから「やろう!」と思ったらいくらでもできるでしょうし、そんなにお金のかかる話でもないと思ってしまいますが。でもこれから先、多くの自治体で人口は減少していく一方で、少人数の学校ばかりになっていくことになります。このような状況下で、どういう環境を作れるのかということは、考え続けないといけないのかもしれませんね。

山田 前の学校でかなりお世話になっていた指導主事の先生がいらっしゃって、私がこの学校に赴任が決まった時に「すごく人数が少ないんです」と言ったら、「近くの学校の子達と、交流させてあげな」というようなことを、すごく強調されていて。私も、「持久走とか河東と一緒にやってるから、そういうのが週1とかであるのかな?」と思ってたんですよ。「そういう交流とかできたら、すごいいいだろうな」って。

でも実際は、「交流どころじゃないんだな」と思いました。そういうイベントを取り入れたくて「こういうのやりたいです」と言っても、多分、「派手なもの」ばかり取り入れられて。「地味だけど大切な繋がり」っていうのを、キュっとされるんですよね。そうしたらもう、やりたいという気持ちもやる気もなくなってしまうという……。

 

ーーそうですよね。

山田 だから本当に、私がやりたかったことはできなかったんじゃないかなと思います。

 

ーー先生はこの春に転任されると伺いました。ここでの期間も先生の教員キャリアの中では確実に、何らかしらには活かされるのだろうと思います。ここの先生達とも、戦友感がありますか?

山田 かなりあります。前の学校では自分の受け持つ子達がいて、その子達のために学校に行っているという感覚があったのですが、この学校では「先生達と話をするために行く」みたいな感覚にもなっていました。本当に辛い、ピシャンってされたりとか。思うようにいかないことが続いた時には、子ども達から元気もらうというのもありますが、先生達と色々話しながら、どういう感じなのかねとか聞いてもらいながら。救われました、本当に。

 

「子ども達が興味あるもの」を探究していく教育があれば

ーー最後に、「ふるさと創造学」について聞かせてください。ふるさと創造学は、「震災で子どもたちが得た経験を、生きる力に」との思いから始まった、双葉郡8町村の学校が地域を題材に取り組む探究的な学習活動の総称です。ふるさと創造学自体が表層的なものになっていないかという厳しい意見もありますが、先生も教育現場で実際に携わる中でも難しさなどはありましたか?

山田 ぽっと出で、「ちょっとやってみっか」みたいな感じがあったかもしれません。私個人としては、結構「ネイチャーがメインになればいいな」と思っていたのですが。

 

ーー環境教育は比較的真面目にやりましたよね。

山田 そうですよね。避難先の会津の環境と、大熊町の環境を踏まえて、きちんと取り組みました。やはり子ども達も、どのような環境かということは分からないですよね。大熊に住んでいませんから。だから「そういう周辺で育てている食べ物や果物などを対象とした学びに、さらに来年度いければいいかな」と思ってはいます。

 

ーーでもプロジェクトとしては、ある程度綺麗に成立していたと思います。他にも色々なプロジェクトがありましたが、先生達は大変そうでしたね。この経験も、先生が今まで持っていた教育観などが少し変わるような経験にはなりましたか?

山田 かなり。「ここを大切にする」という姿勢はいいと思いますので。でも、「それをふるさと創造学というか、未来デザインにも反映しないのかな?」という気持ちはあります。「子ども達が興味あるものを探究していけばいいのにな」と、いつも思ってしまいます。

 

ーーどうして、そうならないのでしょうか?

山田 大人も目立ちたいんですね、多分。やりたいという人がぼんって持ってきて、はいこれやってねという感じなのですかね。

 

ーー外部にも問題があるのでしょうか? それを受けてしまう管理職側にも問題があるようにも思えてきます。

山田 「すごい受けるな」とは思いますけれどね。

 

ーー双葉郡の学校は特に最初の時期はほぼ毎日イベントのような状態で、それは善意の支援でしたから断りづらかったのかなと感じます。でもそれは結局、連続性のある教育課程の中では結構邪魔だったという現場の先生方からの意見も、耳にしたことがあります。

山田 本当に、来てくださる方達はきちんと信念持っていて「すごい方だな」とは思うんですけれど。どういう意図かとか、教育活動でここを重視してやりますよというのがなかったりすると、難しいなと思うことはあります。

インタビュー: 2023年3月26日 (聞き手/千葉偉才也)

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